冬の訪れをすぐそこに感じつつも、紅葉を追い求めて走っております。
こんにちは“孤高のポタライダー”アーサーです。
コース概要
今回訪れたのは奥三河の一番手前の新城市です。
新城市にある新城総合公園から豊川沿いに北上してから、山間部を超えて、鳳来寺表参道に至ります。
鳳来寺からは南下して長篠にいたり、豊川沿いのカフェ「保木平珈琲 Murmure」で休憩しつつ、長篠合戦の古戦場を散策しながら新城総合公園に戻ってきます。走行距離:26.79km
獲得高度:366m
所要時間:6.0時間(休憩含む)
愛知県東部、奥三河と呼ばれる地域の新城市の新城総合公園からポタリング開始です。
豊川沿いに走行してしばらくすると、道脇に「馬場美濃守討死之地」の案内がありました。
武田四天王の一人“馬場信春”、長篠の合戦で討ち死にした武田の重臣の一人ですね。
本日これから巡る、長篠合戦上からは少し離れておりますが、馬場信春は敗走する主君、武田勝頼を逃すために殿としてとどまり討ち死にしたと伝わっております。なるほど、確かにここは古戦場から少し離れた北東に位置していて信濃方面に続く途上の地です。
馬場さんの案内から少し進むと、滝のようなものが見えてきます。
「三河のナイアガラ」との異名もとる“長篠堰堤余水吐”(ながしのえんていよすいばき)です。水力発電のために堤で水を堰き止めていて、溢れ出る余分な水が余水吐と言われる部分からナイアガラのように流れ落ちています。その幅約100m、落差も10m近くはあり迫力に圧倒されました。全くリストアップしていなかった場所なのですごくいい場所見つけて幸先の良いポタリングの予感でした。
豊川に架かる橋を渡ります。この辺りの河川は川幅の割に切れ込みが深い箇所が多いですね。綺麗な放射線構図で撮影できるポイントがたくさんありました。
手前に橋梁を前ぼかしで入れて放射線構図の安定感を崩しつつ、橋の上からの撮影という情報を追加してみました。
豊川から伸びる支流を辿って鳳来寺山表参道へ。さて本日はここからは一旦自転車を降りて、鳳来寺を目指します。
鳳来寺は1425段の石段を登った上にあります。さあここから石段の始まりです。
702年に利修仙人が開山したと伝えられる鳳来寺は中世に入り、平治の乱で落ち延びてきた源頼朝を匿った寺としても知られています、近世では井伊家の遺児である直政を匿ったお寺でもあります。
頼朝が匿ってもらったことへのご恩ということで石段を設けたとのことです。
登り始めこそは石段って800年以上経っても、こんな山深いところでもちゃんと残るんだなぁと思いを馳せらせたりしていましたが、登り続けるにつれ大変なところに安易に足を踏み入れてしまったことに気が付きます。
石段といっても、でこぼこになっていて歩きやすいわけではないし、斜度がある箇所だと、一段の高さも高くて相当にキツイです。
石段だけではなく、周囲には石包みなどもあって、これを作った人たちは相当に大変だったろうと当時が偲ばれます。
お寺は殺生禁断の地であるから匿われたのであろうけど、それだけではない理由がわかる気がします。
こんな山深くまで分け入って登山して人探しだなんてなかなかできるものではない。
最初は意気揚々と登っていたものの、ペースを落としてのらりくらりとなんとか登り続けました。
結局1時間近くかけてたどり着いた鳳来寺本堂。想像よりも小さく簡素で少し拍子抜けしましたが、ここまで資材を運ぶだけでも一苦労でしょうし全体と背後の景色が画角に収まってちょうどいい感じです。
本堂前からは眺望が開けており遠景が望めます。写真の方角は南西方向、新城があって、その向こうには豊橋や豊川と続いていく感じでしょうか。
手前の木々は紅葉で色づいてきています。
鳳来寺山登山でクタクタになった次にやってきたのが、表参道途中にある旧門谷小学校。1970年に廃校になってしまった学校ですが、大正時代に建てられたという校舎が現在でも現存しております。
学校って四季を感じさせるような樹木が綺麗に植えられていたりしますよね。
校庭にある、見事な大銀杏。校庭のあたり一面に落ち葉が広がって黄色の絨毯になってました。この日は旋風が吹いたりして風が強く吹いたりしていたのですが、銀杏の葉っぱが風に舞い上がったりして綺麗でした。
現在では校庭の片隅にパン屋さんと珈琲屋さんが営業しております。平日の昼前ですが数十人のお客さんで賑わっていました。
商品数も在庫数も多くないのですぐに売り切れてしまうようで、順番待ちしている間に手頃なパンは売り切れに。
なんとか大きなチョコチップクッキーとコーヒーをいただくことができました。
鳳来寺で登山やコーヒーを飲んでいるとすでに13時過ぎ。こんな予定ではなかったぞと気を取り直して走り出して次に立ち寄ったのがJAが運営するファーマーズマーケット“こんたく長篠”
チョコチップクッキーだけでは満たされなかったお腹の足しにと購入したみたらし団子が絶品でした。
団子って普段からそれほど食べるものでもないし、申し訳ないのですが期待値もそれほど高いわけでもないのですが、これまでに私の人生でこれはうまいって感動した団子がこれまでに1つだけありまして。
程よく団子の焦げた香りがして、まん丸ではなくて、潰した小判形で、御手洗ではなく醤油であればなお良しだったのですが、ここの団子はそれを思い出させてくれるに充分な美味しさでした。
感動の団子に満足しつつ(個人的な本日のハイライト)長篠城周辺を散策します。
牛渕橋から長篠城跡を眺めるビュースポット。
左手が豊川、右手が字連川2つの河川の合流地点の向こう側が長篠城跡になります。
左手に流れる豊川はその先で右に90度近く川筋が曲がっているので3方を川に囲まれているという自然の要害に建てられているのがわかります。
長篠城跡と豊川を挟んだ対岸には鳥居強右衛門の磔死の趾として碑が残っております。鳥居強右衛門に関しては今年の大河ドラマ“どうする家康”で一話分さいてフューチャーされていたのを記憶にある方もいらっしゃるかと思います。
その後、鳥居さんは主家奥平家の旗印になったり、お寺に祀られたりしていますし、ここから最寄りの駅名が“鳥居”になっていたりで今だにこの地域では名が残っているのだなと気付かされます。
長篠城の後にやってきたのがカフェ“保木平珈琲 Murmure”。豊川沿いの断崖の上に立つ絶景カフェです。週末は混んだりするようなのでお気をつけください。
和紅茶をいただいてしばし休憩タイムです。
素敵な店内にはロードバイクやいろんな工具なども置かれています。
薪ストーブもあるのでこれからの季節にものんびりと訪れたくなるカフェでした。
さて、次にめぐるは長篠古戦場。長篠城から少し西側の設楽原を自転車で巡ります。
とりあえず眺望の良いところとやってきたのが小幡一族の墓がある丘の上。
古戦場といってもどこにでもあるようなごくごく普通の田舎の風景です。
そういったどこにでもある風景の中に転々と、誰それの墓だとか、誰それが陣を敷いた場所だとか点在していて予備知識と想像力がものすごく試されます。
東西に1.5km、南北にもせいぜい2.5kmのこのあたり一帯に両軍合わせて50000人ほどの大軍が集結してぶつかり合ったとなると、そのエネルギーたるやものすごいものがあったのだろうなぁ。
写真の中央付近に左右(南北)に連吾川という幅数メートルの小さな小川が流れていて、その向こう側に織田・徳川の馬防柵が等その奥に鉄砲隊などが控えていたと言われます。
手前から奥の方に武田が攻め寄せる間に、鉄砲や弓矢で狙い撃ちされるわけですね。
控えめに言っても嫌だなぁ、すごく嫌です。しかも8時間以上攻め続けたというから、絶対に自分の番が何度か回ってくるだろうして、生きた心地がしなかったと思われます。
次は織田・徳川側から復元された馬防柵とともに。
自分よりも背丈のある柵が続いています。
柵を乗り越えている間にも斬りかかられたりするだろうから、ほんと命がいくつあっても足りません。
武田って信玄と騎馬隊のイメージで非常に強いというイメージではあるのですが、武田信玄の時代から重臣と呼ばれる家臣を度々負戦で失っています。
こと長篠に至ってはそれなりに役職のある方々が2桁という数字で戦死されているのですから、その負けっぷりが半端ないです。
古戦場を南北に走り抜けて、新城総合公園まで戻って参りました。
非常に大きな公園でアスレチックなどもあり、子供を連れてきても楽しそうです。
ところどころ見事に色づいている木々もあり秋の終わりを感じました。
まとめ
長篠堰堤余水吐がすごく迫力があって良かったです。もっといろんなショットも撮れたのでしょうけど、足がすくんでしまって動き回るのをやめました。
足場が良くないので気をつけてお立ち寄りください。
鳳来寺はほんとに登山でしたね。ポタリングついでに立ち寄るような場所ではないと思いますので、麓の廃校めぐるだけでも良かった気がします。
実は山をぐるっと回り込む形で鳳来寺山パークウェイという道があり、こちらを利用すると石段とは別のルートに本堂に行くことができます。
もっともこちらですと、自転車での登りがかなり続くわけではありますが。
長篠の古戦場については、長年蓄えた知識が現地で確認できたりして面白かったです。
ただ、事前に調べておいたにも拘らず、見逃してしまうポイントなどがいくつかありましたので、何かしらのガイドなどを頼りにうろうろすることになると思います。
これがポタリングらしいとも言えるのですが。
前回から、まだおぉという紅葉に巡り会えていないので次こそは見つけたいです。